「集中」して「勉強」することについて。
自分自身のクセというかそういうものが少し見えたので、とりあえずメモ。
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結論から言えば「勉強する」が自身に合っていないかもしれない。なぜならば「思考停止」のエイリアスになっているから。
とにかく思考停止を避けること。なのでどちらかといえば「考える」にマインドを切り替えること。それだけだ。
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具体的な話だと、これを書いている昨日、今日(2022/10/24, 25) は「デザインパターン」に興味が移っていて、前日はそれの「勉強」をしようと書籍を開いたところ、あまり集中できていなかったからだ。
「勉強」なので、まずは PC を立ち上げる。次にエディタを開く。ブラウザを開く。で書籍を開き、頭から読み始める…。
で、結果といえば「あまり集中できず、終わった」のだ。
(もっと集中できる…)
という悔いを残しながら。
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一応、書籍には載っていない「Null Object パターン」について気になりだし、というかこのリンクについて思い出し、気になったので、はてブのブックマーク検索さら記事を引っ張り出して読んで、「Null Object パターン」で検索して、数ページ開いて見てみて、実際にコードを書いてみて…
といった感じで、一応「何となく理解した」「自分なりに解釈できるとこまでは行けた」ので、「勉強する」の当初の目標はクリアできていることは出来ている。
ただ「あまり集中できなかった」ので、
「時間がかかり過ぎてしまった」ということが言える。これが悔いの原因だ。
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元々、受験勉強など、ひたすらストイックに勉強する習慣は無いし、一度で物凄く理解できるような才能もない。そのため「思考停止」した状態で勉強に望むと、結果「集中できない」に辿り着くのだと思う。
というか「勉強」という単語が「思考停止」というエイリアスになっているっぽいな。自分の場合は。
なので「考える」だ。
ちなみに、考える内容についてや、思考中に利用する道具(効率だの、公式だの、デザインパターンだの)はこの際「どうでも良い」。とにかく頭を使っている状態。これをキープする。(3月のライオンの、対局前に思考を繰り返してる、あづにゃんみたいな。またはパーティション分けされていない描写の、桐山くんみたいな)
よくよく考えると、将棋ウォーズでも勝っている時は「たぶんこの形ならこの駒で…」「この条件を相手に強いよう」「こっちが指しにくいけど、これだけは死守だな」みたいな、「言葉での思考」をやっている。
おそらく効率にも理論値があって、それを考えると、おそらく「何でも良いから」「とにかく考える」はかなり悪いんだろうけど、とにかく集中しなければ「時間が持ってかれる」。なので「頭をどんどん使う」。
その中で一個でもヒットしたら、その分だけ進捗するのかもしれないし、他にダラけるのを避ける策は現状無いので、とにかくこれでやってみるかなー、ということ。
メモ終わり!